げじげじ日記

私の世界

三角形

久々にミクシィを覗いてみた

マイミクの誰も日記を書いていない

足跡も1年以上付いていない

皆立ち去った後だということが分かる

皆どこへいったのだろう?

そしてわたしはどこへいくのだろう?

それは自分で決めることであって

誰かに運んで貰うものではないし

決めて貰うものでもない

流行り廃りはある

流行には人が集まるし

廃れれば人は去る

流行から流行へと流れてゆくのも一つだが

自分の拘りもあった方がいい、と思う

学生の頃は

行きたい所がたくさんあったし

色んな所へ行ったが

結局どこにも行かなかったようなものだ

つまり

ある程度定まった人間関係があって

安定した身分があって

ということだ

今ではどこかへ行くということは

現在の人間関係を捨て去って

無一物になることを指す

安定した人間関係というものは幻想だということに気付いて以来そうなった


われわれは言う

AはBであると

だが、本当はそれを信じていないし

確かめもしない

確かめて言っているのではなく

ただ信じているのでもなく

仮定しているのでもなく

広く言われていることをオウムのように繰り返している

または

自分の都合の良いことだけを

頭の中でぼんやりと信じている

決して確かめようとしない

確かめようのないことは

そう言っているからそうなのだろう、と

曖昧な理解をする

例えば誰かがお腹が痛いと言っているとしよう

お腹が痛いということを確かめることは原理的に不可能だ

お腹が痛いと言っているからそうなのだろう、と考える

お腹が痛いということを本当は信じてはいない

これも似たような

身体に根づいていない知覚のあり方であろう


ひとは常に何かを感じているし

たとえこちらに聞こえる言葉にはならなくても

他人が感じていることに注意を払う責任が

共に居るひとにはついてくる

その責任を放棄すると

その人の目は三角形になるらしい

三角形の目をした人間には注意しなくてはいけない