げじげじ日記

私の世界

組織

好きに生きるしかないな、と思うことがある

人は何をしてもいいし

それにごちゃごちゃ文句をつけてくる人は

全部無視すればよい

社会に認められようが

認められまいが

構わない

外野からいろんな人がいろんなことを言ってくるが

大半は脅しであって

そんなことを言って何が面白いのか

他人を嫌な気分にさせて自らの影響力を確認したいだけの人

くだらない、つまらない人


人は集団で狂ってゆく

はじめは笑って済ませていたようなことが

あれよあれよという間に

まるで殺しや盗みや詐欺でも働いたかのように

糾弾されるようになり

みな思い詰めたようになるか

妙に前向きになって

目の前のことだけしか見えなくなり

受け答えはいつも決まりきったものとなり

眼は人間のものではなくなる

何かを愉しむような余裕はなくなって

ただ目の前の目的をこなすことだけが第一で

「楽しい雰囲気作り」もあくまでも目的のためで

人に指摘されてやっているだけ

そういう人にとって気持ちの良いことは

誰かを糾弾して自分が正しい人になることのみで

不愉快きわまりない


日本の組織では

状況が悪くなると

一致団結しようとか

皆で力を合わせて乗り越えようと口では言いながら

実際はトロく見える人や、同じようなテンションに見えない人を寄ってたかって糾弾してイジメ抜いて

叩き出してしまう

誰も庇ったりしない

日本人は力を合わせるのが苦手だから、やたらとそういうことを口にするのではないか

皆が同じテンションになって同じことを同じようにすることが第一の目的となってしまって

状況を良くすることはどこかへ行ってしまう

イジメ対象者を追い出したら

「状況が改善した気分」になるが

何も改善などしていなくて

悪い状況にも慣れっこになってしまって

同じような鈍い感性と

同じような思考の持ち主だけが残り

新しいアイデアなど生まれるはずもなく

うだつの上がらないことを延々と繰り返す

状況が改善することなど端から諦めていて

ただ

お互いにテンションが落ちないように監視し合って

窮屈な思いをしながら

延々と調子の合わないダンスを踊り続け

精一杯現状維持しながら

外から幸運がやってくることを期待している

日本の組織はどこもこんなもの

人間らしい生活がしたければ

組織に入ってはいけない

理不尽

久しぶりに日記のページをひらいた

最近は晴れた日は釣りをして、雨の日は寝てゲームをしているだけだ
いや、晴れた日も夜はゲームをしている

先月末でアルバイトを辞めたら体力的には楽になった

気分はあまりすぐれない
ちょっとしたことでイライラして
自分でも笑ってしまう

ああ馬鹿らしい
どうしてこんな生活を続けているんだろう
何も良いことがないではないか

そう思ったら部屋を引き払う気になって
ネットで引っ越しとバイクの運送を手配した

ああ、こんなに簡単なことなのに
さっさと出来なかったのは何故なのだろう?

動きづらい何かがあるのは間違いない 

楽だから?
チヤホヤされるから?
自然があるから?
一人でいられるから?
のんびりしていられるから?

しかし背中は痛くなるし気分は落ち込むばかり
このままここに居ても
どんどん疲弊していくのだけは確かだ

停滞している
先が見えない
時間だけが経ってゆく

じわりじわりと衰退してゆく


現実を認識すると「疲弊」という言葉が思い浮かぶ

肉体的な疲労だけではなくて

徒労感と、ゴールの見えない苦しみ

何も悪いことをしていないのに罰を受けなければならないような

それが不運でも何でもなく「そういうもの」として配置されている
「社会の厳しさ」などと表現されることもある

意味が分からない
日本の社会のおかしなところ
理不尽

自分の受けている理不尽を言葉にしてみればよい

何故こんな罰を受けなければならないのか?
何か悪いことをしたのか?

さっさと逃げ出そう

三角形

久々にミクシィを覗いてみた

マイミクの誰も日記を書いていない

足跡も1年以上付いていない

皆立ち去った後だということが分かる

皆どこへいったのだろう?

そしてわたしはどこへいくのだろう?

それは自分で決めることであって

誰かに運んで貰うものではないし

決めて貰うものでもない

流行り廃りはある

流行には人が集まるし

廃れれば人は去る

流行から流行へと流れてゆくのも一つだが

自分の拘りもあった方がいい、と思う

学生の頃は

行きたい所がたくさんあったし

色んな所へ行ったが

結局どこにも行かなかったようなものだ

つまり

ある程度定まった人間関係があって

安定した身分があって

ということだ

今ではどこかへ行くということは

現在の人間関係を捨て去って

無一物になることを指す

安定した人間関係というものは幻想だということに気付いて以来そうなった


われわれは言う

AはBであると

だが、本当はそれを信じていないし

確かめもしない

確かめて言っているのではなく

ただ信じているのでもなく

仮定しているのでもなく

広く言われていることをオウムのように繰り返している

または

自分の都合の良いことだけを

頭の中でぼんやりと信じている

決して確かめようとしない

確かめようのないことは

そう言っているからそうなのだろう、と

曖昧な理解をする

例えば誰かがお腹が痛いと言っているとしよう

お腹が痛いということを確かめることは原理的に不可能だ

お腹が痛いと言っているからそうなのだろう、と考える

お腹が痛いということを本当は信じてはいない

これも似たような

身体に根づいていない知覚のあり方であろう


ひとは常に何かを感じているし

たとえこちらに聞こえる言葉にはならなくても

他人が感じていることに注意を払う責任が

共に居るひとにはついてくる

その責任を放棄すると

その人の目は三角形になるらしい

三角形の目をした人間には注意しなくてはいけない

毎朝、胸が苦しくなって目覚める

こんなことは普通ではないはずなのだが

こんなことが普通になってしまった

頭の中は石でも入ってるように重たい

首は痛くて曲がらない

背中も…

外はまる1日雨が降り続いている

わたしは暗い部屋の中で

暗い気持ちのなかに沈んでいる

暗い気分でいると

まだ

心臓が苦しくない


この世界にはもう、うんざり以外の感情がない

好きになれない

何処かに素晴らしいところがある?

甘言だ

いまここになければどこにもない

こんな、うんざりするような出来事と環境が

この世界では

延々と続いてきたのだろうか?

それともわたしがおかしくなっただけなのか?

世界が美しく見えるほど

わたしは世界にうんざりしてゆく

いや

自分の無力さにうんざりしているのかも知れない

わたしはただ見ているだけ

どんなに美しくても見ているだけ


最近はぼんやりとしていることが多い

仕事の後は特にぼんやりする

何を考えているわけでもない

目の焦点も合っていないだろう

半分この世界からはみ出ている

えいやっと気合をつけないと戻ってこれない

現実世界に足を着けていない

他の人々の中には

現実を大切にしているのに

全く頓珍漢なものの見方をして

自分の妄想が現実の大部分を作っている人がいたりする

彼らは現実にうんざりすることがない

何故なら常に自分の頭の中で好きに作っているからだ

彼らはどのような状況にでも自分を適応させるように作り変える

そして、元気だけが取り柄である

普通

世の中は、他の人々はどんどん先へと進んでゆく

わたしは立ち止まってただ見ている

よいこと

世の中のためになること

目的

次々に挙げられるメリット

わたしは乗り遅れた人間で

この世の前進に何一つ寄与出来ないし

今から走り出して追いつくのはもうしんどい

今誰かに作られつつあるところに

入ってゆくのがしんどい

そこは特別な新しい何かなのだろうが

わたしが大切にしているのは

普通のことを

普通に考えて

普通にやること

なんであれ

普通のことを

普通に考えて

普通にやれば

それなりの結果が出るものなのだ

普通のことをやらずに

普通に考えればおかしなことを

平気でやっている

あるいは集団で狂って普通のことができなくなることもある

普通とは自分の感覚でしかないが

そこには人間のコモンセンスとの兼ね合いがなければならない

今の自分にとって普通のことを

普通に考えて普通にやればよい

普通に考えることができないのは

普通の環境ではないからだ

普通の環境を探せ

不幸

実家から電車で自分の家に向かっている

フェリーに乗って、明日の朝に家に着く

アンニュイというか、うんざりした気分だ

戻りたくない

なぜかと問うても分からない

言葉にならない

兎に角うんざりしている

活気の無い街と

諦めきった人々と

全ての力を奪われた土地に

生きるということが脱臼させられたような

不幸な地域ではあるが

世の中に取り残されたら

こんなものなのだろうか

不幸は一過性のイベントではなくて

しつこくまとわりつき抜け出し難い泥沼のようなものだ

大したことないと強がってみてもダメ

もうだめだと絶望してもダメ

これからよくなると無根拠な希望を持ってもダメ

この泥沼は

とにかくジリジリと、少しずつ這いつくばっていくしかないらしい

悲惨なことには

それまで順調だったこと全てをひっくり返す力がある

気分の一時的な落ち込み、などではない

一週間やひと月で立ち直るようなものではない

眠ったらさっぱりと忘れられるものでもない

どうやって対処し得るのか

わたしにはまだちゃんとしたことが分からない

思い詰めたりするようであれば

何かを変えた方がいいと思う

住むところや

付き合う人や仕事などを

変えた方がいい

身体の不調に対しては病院に行った方がいいこともある

不幸なひとはまず間違いなく

個人の生活がボロボロになって成立していない

いつも何かに追われている

動き続けている

たとえ引き篭もって1日中布団にもぐっていたとしてもそうなのだ

個人の生活がないのである

生活を取り戻すために何が必要なのか

それはこれから見つけてゆくつもりだ

尊敬

今週は久しぶりに友達と会ってラーメンを食べに行ったり

ゲームをしたり飲みに行ったりした

誰にも会わないで生活をしているわけではないが

他人の生活空間に立ち入らないことが長かったので

自分の生活を客観的に見るということがなくて

自分の生活をみすぼらしいものだと思っていた

のだけれど

案外そうでもなくて

ここから先はうまく言えないのだが

ゴチャゴチャした部屋の中で

毎日を切り開いてゆくというのも

また生活だ

それは都会でも郊外でも田舎でも同じことで

戦いのかたちが異なるだけ

日々の生活を生活と感じるかどうか

希望があるかどうか、というのも近いようで少し違っている

希望はなくてもよい

ただ、先のことをくよくよ考えたり

過去のことに囚われたり

といったことが少ないのなら

生活と言えるのではないか

日本の都会では

田舎でもだが

みな土や岩のような顔をしながら

他人に踏みつけられ踏みつけながら

生活ならぬ生活をしている

「世界が尊敬する○○」

「世界が羨む○○」

を目指す必要なんて、どこにあるのだろう

金を欲し

その次は

尊敬されたがるのか

尊敬を求めて

人生を台無しにするのか

尊敬は無い方がいい

失礼なことをしなければいい