げじげじ日記

私の世界

三角形

久々にミクシィを覗いてみた

マイミクの誰も日記を書いていない

足跡も1年以上付いていない

皆立ち去った後だということが分かる

皆どこへいったのだろう?

そしてわたしはどこへいくのだろう?

それは自分で決めることであって

誰かに運んで貰うものではないし

決めて貰うものでもない

流行り廃りはある

流行には人が集まるし

廃れれば人は去る

流行から流行へと流れてゆくのも一つだが

自分の拘りもあった方がいい、と思う

学生の頃は

行きたい所がたくさんあったし

色んな所へ行ったが

結局どこにも行かなかったようなものだ

つまり

ある程度定まった人間関係があって

安定した身分があって

ということだ

今ではどこかへ行くということは

現在の人間関係を捨て去って

無一物になることを指す

安定した人間関係というものは幻想だということに気付いて以来そうなった


われわれは言う

AはBであると

だが、本当はそれを信じていないし

確かめもしない

確かめて言っているのではなく

ただ信じているのでもなく

仮定しているのでもなく

広く言われていることをオウムのように繰り返している

または

自分の都合の良いことだけを

頭の中でぼんやりと信じている

決して確かめようとしない

確かめようのないことは

そう言っているからそうなのだろう、と

曖昧な理解をする

例えば誰かがお腹が痛いと言っているとしよう

お腹が痛いということを確かめることは原理的に不可能だ

お腹が痛いと言っているからそうなのだろう、と考える

お腹が痛いということを本当は信じてはいない

これも似たような

身体に根づいていない知覚のあり方であろう


ひとは常に何かを感じているし

たとえこちらに聞こえる言葉にはならなくても

他人が感じていることに注意を払う責任が

共に居るひとにはついてくる

その責任を放棄すると

その人の目は三角形になるらしい

三角形の目をした人間には注意しなくてはいけない

毎朝、胸が苦しくなって目覚める

こんなことは普通ではないはずなのだが

こんなことが普通になってしまった

頭の中は石でも入ってるように重たい

首は痛くて曲がらない

背中も…

外はまる1日雨が降り続いている

わたしは暗い部屋の中で

暗い気持ちのなかに沈んでいる

暗い気分でいると

まだ

心臓が苦しくない


この世界にはもう、うんざり以外の感情がない

好きになれない

何処かに素晴らしいところがある?

甘言だ

いまここになければどこにもない

こんな、うんざりするような出来事と環境が

この世界では

延々と続いてきたのだろうか?

それともわたしがおかしくなっただけなのか?

世界が美しく見えるほど

わたしは世界にうんざりしてゆく

いや

自分の無力さにうんざりしているのかも知れない

わたしはただ見ているだけ

どんなに美しくても見ているだけ


最近はぼんやりとしていることが多い

仕事の後は特にぼんやりする

何を考えているわけでもない

目の焦点も合っていないだろう

半分この世界からはみ出ている

えいやっと気合をつけないと戻ってこれない

現実世界に足を着けていない

他の人々の中には

現実を大切にしているのに

全く頓珍漢なものの見方をして

自分の妄想が現実の大部分を作っている人がいたりする

彼らは現実にうんざりすることがない

何故なら常に自分の頭の中で好きに作っているからだ

彼らはどのような状況にでも自分を適応させるように作り変える

そして、元気だけが取り柄である

普通

世の中は、他の人々はどんどん先へと進んでゆく

わたしは立ち止まってただ見ている

よいこと

世の中のためになること

目的

次々に挙げられるメリット

わたしは乗り遅れた人間で

この世の前進に何一つ寄与出来ないし

今から走り出して追いつくのはもうしんどい

今誰かに作られつつあるところに

入ってゆくのがしんどい

そこは特別な新しい何かなのだろうが

わたしが大切にしているのは

普通のことを

普通に考えて

普通にやること

なんであれ

普通のことを

普通に考えて

普通にやれば

それなりの結果が出るものなのだ

普通のことをやらずに

普通に考えればおかしなことを

平気でやっている

あるいは集団で狂って普通のことができなくなることもある

普通とは自分の感覚でしかないが

そこには人間のコモンセンスとの兼ね合いがなければならない

今の自分にとって普通のことを

普通に考えて普通にやればよい

普通に考えることができないのは

普通の環境ではないからだ

普通の環境を探せ

不幸

実家から電車で自分の家に向かっている

フェリーに乗って、明日の朝に家に着く

アンニュイというか、うんざりした気分だ

戻りたくない

なぜかと問うても分からない

言葉にならない

兎に角うんざりしている

活気の無い街と

諦めきった人々と

全ての力を奪われた土地に

生きるということが脱臼させられたような

不幸な地域ではあるが

世の中に取り残されたら

こんなものなのだろうか

不幸は一過性のイベントではなくて

しつこくまとわりつき抜け出し難い泥沼のようなものだ

大したことないと強がってみてもダメ

もうだめだと絶望してもダメ

これからよくなると無根拠な希望を持ってもダメ

この泥沼は

とにかくジリジリと、少しずつ這いつくばっていくしかないらしい

悲惨なことには

それまで順調だったこと全てをひっくり返す力がある

気分の一時的な落ち込み、などではない

一週間やひと月で立ち直るようなものではない

眠ったらさっぱりと忘れられるものでもない

どうやって対処し得るのか

わたしにはまだちゃんとしたことが分からない

思い詰めたりするようであれば

何かを変えた方がいいと思う

住むところや

付き合う人や仕事などを

変えた方がいい

身体の不調に対しては病院に行った方がいいこともある

不幸なひとはまず間違いなく

個人の生活がボロボロになって成立していない

いつも何かに追われている

動き続けている

たとえ引き篭もって1日中布団にもぐっていたとしてもそうなのだ

個人の生活がないのである

生活を取り戻すために何が必要なのか

それはこれから見つけてゆくつもりだ

尊敬

今週は久しぶりに友達と会ってラーメンを食べに行ったり

ゲームをしたり飲みに行ったりした

誰にも会わないで生活をしているわけではないが

他人の生活空間に立ち入らないことが長かったので

自分の生活を客観的に見るということがなくて

自分の生活をみすぼらしいものだと思っていた

のだけれど

案外そうでもなくて

ここから先はうまく言えないのだが

ゴチャゴチャした部屋の中で

毎日を切り開いてゆくというのも

また生活だ

それは都会でも郊外でも田舎でも同じことで

戦いのかたちが異なるだけ

日々の生活を生活と感じるかどうか

希望があるかどうか、というのも近いようで少し違っている

希望はなくてもよい

ただ、先のことをくよくよ考えたり

過去のことに囚われたり

といったことが少ないのなら

生活と言えるのではないか

日本の都会では

田舎でもだが

みな土や岩のような顔をしながら

他人に踏みつけられ踏みつけながら

生活ならぬ生活をしている

「世界が尊敬する○○」

「世界が羨む○○」

を目指す必要なんて、どこにあるのだろう

金を欲し

その次は

尊敬されたがるのか

尊敬を求めて

人生を台無しにするのか

尊敬は無い方がいい

失礼なことをしなければいい

フィット感

今住んでいる所から引っ越して、実家のそばで暮らすことになるかもしれない

分かったことは、ただ食べて眠って休んでも何も良くはならない、ということだった

台所のゴミに小バエがいっぱいわいているのを見て

この生活を終わらせることを決めた

なんの先も描くことができなかった

出来ることはもう何もない

今の生活が

自分自身に対する不愉快な仕打ちのように感じた

それをやっているのはわたし自身だ

終わろう、と思った


自分の心をごまかすということは

常にやっているようで

本当はそんなこと出来はしない

表層でごまかしていても

心の奥底では

すべてが明らかになっていて

好きなものは好きで

嫌いなものは嫌いで

気持ちいいものは気持ちよく

不愉快なものは不愉快である

心の奥底では

ここには居たくない

ここに居るのは不愉快だ

しかし他に選びようがない 

とも考えているから

不愉快だ、という気持ちを曇らせるフィルターをかけているに過ぎない

恨み言を言えばキリはなくて

ただ愚痴を言うくらいなら出ていった方がマシと思い自制している

出ていけないのなら愚痴を言いながら向き合ってゆくしかないのだ


無理をすれば

ここで前向きにやってゆくということも

出来なくはない

だが

長くは続かないだろう

わたしはわたしの本当の声

聞き取りにくい小さな声に

気付いている

それを無視することが出来ない

それは言葉には到底ならないような

予感そのもので

わたしの未来は結局はそこに向かっていってしまう

フィット感がなく微妙なズレがある

というのが声であり

問題はその声が聞こえているかどうか

その声に従っているかどうか

なのだろう

ズレていることが問題なのではなくて

ズレているものをそのまま放置することが

問題だ

癒える

最近また胸騒ぎがするようになってきた

神経が逆立っているのがわかる

背中も痛い

わたしはよくなりたいのだろうか?

よくなる、癒える、ということが

もはや想像できなくなってきている

ちょっとした気分の上昇あっても

根っこの部分では全くといっていいほど癒えない

よくならない

焦るとなお悪いだけなので

焦りたくはないが

ただひたすらにつらい

暫くすると背中の痛みはなくなってゆくし

動悸も治まってくる

わたしの身体は勝手にある方向に集中してゆく

それは自分の中にあることも、外にあることもあるが

最近は中であることが多い

わたしの意識がひとりでに集中してゆく

虫の鳴き声

皮膚の表面

腹の中

胸の内

ここまでくるとわたしの身体は大きな木のようになり

その中でわたしは安心して寛ぐことができる

癒える、とはこういうことを言うのかもしれない