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げじげじ日誌

マイ・ワールド

明日が来ない

寝不足の日が続いている。
眠る時間は確保しているのだが、スイッチが切れないように、眠りに落ちることができない。
 
12時には布団に入っているのだが寝付くのは2時3時で起きるのは6時台。
3時間か4時間の睡眠しか取れていない。
それも、ぐっすり眠ったとは言い難い、仮眠を繰り返したような中途半端なものだ。

眠っても明日が来ない。ずーっと何かが続いている。

眠るのが怖い。
二度と目覚めないかもしれない、と感じる。


自分自身を励ます。

何ら他人に恥じるような生を送っているわけではないと。
精一杯やっているのだから、堂々としていれば良いと。
思う存分グーグー眠っても何の問題もないのだと。

あまり効果はなさそうだ。
心は少し軽くなったけれど。


寝不足の何が辛いかというと眠いのに眠れないことと、頭が殆ど働かないことだ。

単純に頭が重苦しくて辛いというのもある。


もう我慢の限界なので病院にかかることにした。
よく2年間も耐えたと思う。

これは明らかに病気であると思う。

不調

昨日も今日もほとんど頭が働かない。

感覚はあるが、何も感じない。
情緒が出てこない。

ただただ時間が過ぎるのをぼんやりと眺めている。

これがいわゆる鬱なのだろうか?

背中が痛くてしょうがない。


おれはもう終わってしまったのだろうか?

そんなことを考えてしまう。

そんなこと分かりようもないのだから考えても仕方がないのだが。


終わった、と思いたいのかもしれない。

この世の中でやることが無くなってしまったと感ずる。

何かを求め追いかけるのも、維持するのも、興味がない。

人の世を良くする、ということをたまに思うようにしているが、本心ではどうでもよい。


体中が痛い。

水に浮かぶ油になったような気分だ。

全く周りのものを受け入れ溶け込むことができない。

たぶんもうこの世界に居たくないのだ。

 

ダサい台詞

頭の中には常に様々な想念が湧いては一部消える。残ったものは言葉になる。

頭の中に浮かんだ言葉は全て自身の真実であるがそれは自身にとって望ましいものとは限らない。

思い浮かんだ言葉は例えば人間ドラマ系の漫画に出てくる場末の飲み屋の疲れ切ったサラリーマンのようなセリフのようであったりする。

絶対に口に出したくはないようなダサい言葉である。

「畜生、どうしてこんなことに…こんなつもりではなかったのに!」

「俺は悪くない、少し運が悪かっただけだ、今に良くなるんだ、でも俺は何もしていない…」

まるで漫画である。そしてダサい。人間はしばしばダサいものであって、それ以上のものではない。


昨日今日と、こんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡り、ずっとカリカリしている。

さて、どうしたものかな。

絶望

久しぶりに日記を書く気がする。

最近は風邪をひいていて鼻が詰まって苦しかった。
昨日あたりから随分マシになったが、今度は精神的に落ち込んできた。

落ち込むと日記を書いて吐き出そうという気になる。

うまく心の中を言い表すことができない。
ただイライラ、カリカリしている。
言葉が死んでしまったような感じ。
心の中だけでなく、何一つ現実を言い表すことができない。

昔のことを思い出すことがまた多くなった。
嫌なことばかり思い出してしまう。

将来への不安がずしりと胸の中にある。
そして絶望の感覚が身体中を満たす。

ああ、またこれと共にやっていかなければならないのか…

絶望の感覚はもう覚えてしまった。
心も体も重く冷え切ってしまったような感じ。

心に引っ掛かっていることがいくつかあるのは確かだ。

今日はある人と久しぶりにラインをした。

ラインをしていたら、だんだん気持ちが落ち着かなくなってきた。

言葉と感情が身体の中をぐるぐる暴れている。

吐き出さなければ、と思った。

言葉にならない何かが自分の中をぐるぐると暴れて、身体が震え始めた。

神経がおかしくなりそう。
これは所謂「躁」状態なんだな。
落ち着きがなくて、苦しい。
心も身体も休まらない。
何かが自分の中でドタバタと暴れて、出てゆかない。

「静まれい!」と言って静まるもんでもない。
それは経験で分かっている。
布団の中で声出しでもしてみるか…。

人間

今日は朝起きた時から体調が悪く、殆ど寝ていた。
最近はこういう日は珍しい。

寝ているとやはり色々と考え過ぎてしまう。
今日も昔のことを色々思い出してしまった。

カリカリしないように心掛けていても、ツイッタで気に入らない記事なんかがあるとカリカリしてくるのが分かる。

とはいえ確かに書いてあることは現実なのでカリカリしてもそうであることは間違いない。

ただ自分が受け容れたくないものだ、ということが分かるだけである。

うまく言えないな。
ようは自分の事と結び付かないなら現実として受け容れるのは容易いのだけど、まだ自分と関係のあることなので受け容れ難いということだ。


今日見てて腹がたったのは「妾になろう」という記事だった。

書いてあることは確かにその通りだ。社会進出した女性の殆どは給料が低く、生活に不安を感じている。

だが周りの高収入の男性は既に結婚している。低収入の男性には惹かれない。

となると高収入の男性の妾になって、仕事はそこそこに楽しく暮した方が良いではないかと考えるのは当然の流れだろう。

彼女らにとっては「安心」が一番大切なのだ。
恋愛結婚だ、一夫一妻だという絵空事には付き合えないのである。

フルタイムで月収15万円を下回る仕事に就いている若い女性たちにとっては今や当然の考えである。
勤めていた時そういうことを何人かから聞いたことがある。

子どもを産んで、経済的に支援して貰う。
子どもを産むことが、仕事なのである。
女性であることを活かそうという仕事。


われわれは常に自分の身を何かに任せなければならない。
その何かにどういったものを選ぶか。
答えはない。

今や人は他人の人格ひとつを信頼して自分の身を任せるということが出来なくなった。

女たちが不安と戦うことをやめ、安心を得る為に妾となる一方で、男たちは女を安心させる為の経済力を獲得するレースで戦い続けるのだ。

彼らには不安から逃れる術はない。


人間の時代は終わった!
人間であろうとすれば不安からは逃れられない。
人間であろうとすれば人生をめちゃくちゃにするしかない。

めちゃくちゃになった自分の人生を、それでも大事に抱えて走るのである。

たたかう

最近は記事を書いて途中で保存して、忘れてしまうことが多い。

何だかぼーっとする。
鎮痛剤やら漢方薬のせいだろうか。
でも身体にはよく効いている。
来週中には足は完治するだろう。


わたしたちは何と戦っているのか、なぜ戦っているのか、誰も知らない。

ただ、戦い続けてきて、そうしなければ生き残れないと思っている。

そして戦う必要があったのかどうかは、勝利した後に考えれば良い、と思う。

死体となった敗者は何も思わないし何も言わないから。


防衛の為に戦わなければならない、ということもあるだろう。

それにしても攻めてくるものは一体何なのか…分からない。

ただ攻めてくるものがあるという事実に反応して戦う。


生きることは日々戦いであるのか。
その戦いには、限界はないのか。

戦いとは比喩に過ぎない。

動物が獲物を追いかけるのも、天敵から逃げるのも戦いである。

巣を作るのも戦いであり、交尾をするのも戦いである。

こう見ていくと、だんだん戦いとは何かわからなくなってくる。


比喩としての戦いとは、頑張るということに過ぎない。

動物は頑張ってなどいない。
つまり戦ってなどいない。
ただ本能のままにそうしているだけだ。

人間は頑張らなくても生きられる道を探すことを頑張るべきではなかろうか。