げじげじ日誌

マイ・ワールド

非モテ男とちやほやされたい女

非モテ男とちやほやされたい女は、集団で同じ病気に罹った者達だと思う。

非モテ男とは女を喜ばせることに自信がなくて、
女の言う事を全て聞いてやらなければならないと思い込んでいる男たちのことである。

ちやほやされたい女とは、いつも不機嫌で、他人が自分の気持ちをタダでマッサージしてくれることを期待している女たちのことである。

彼らは共に、精神における下層市民の男女である。
彼らは異性に対して常に不機嫌であり、不信感を持っている。
この病気は他人には癒やすことはできない。
むしろ同類の者たちの間で病気は酷くなる。
以下に自己治癒のための努力の方法を記す。

非モテ男は、自分が機嫌をとれそうもない女を相手することをやめるべきである。
機嫌をとれる相手に集中して、自信をつけるのが先決である。

ちやほやされたい女は、他人を喜ばせるということを学ぶべきである。
喜ばせたいと思うような男をまず一人見つけるべきである。

以上。

信じる

朝起きると心臓が苦しい。またか、と思う。
暫く、だいたい1時間もすれば治まる。
初めは日記を書けば治まると思っていたが、そういうわけでもなく、何もしなくても時間が過ぎればそのうち治まるらしい。

苦しくなっている間に色んなことを考える。それがいいのかも知れない。考え尽くせば治まるのかも知れない。こんなに苦しいのはもうやめよう、無理はやめよう、ということをいつも考える。


昨晩は信じるということについて考えていた。
信じるとは何か根拠があってやることでも、自然にしていればそうなるものでもなくて、一種のコツというか、意識してやってゆくものだと思った。

何かがあってその結果信じるというのではなくて、まず信じるということが先にある。

さて、どうなるか試してみよう。

身体の中の矛盾を解消するには

身体の中に痛み苦しみがあって、藻掻いてきた。

原因は外部のストレスであった。仕事や人間関係でのストレス。

その時身体の中では相反する動きがお互いにぶつかり合い、疲弊し、内部でどんどん消耗してゆくのだ。

そして外側にあるストレスの源そのものをどうにかすることに費やすエネルギが枯渇する。


どうしたらいいのだろうか?

わたしは一つの解決手段に気付いた。

身体の中の相反する動き、身体の中の矛盾を解消し、完全な一つの肉体に至る。

まず身体の中から癒えてゆくというやり方である。


完全なる肉体をイメージして、身体の中の矛盾を取り除いて苦を減らし楽になってゆく。

とにかく身体の中の滞り、淀み、おりを溶かしてゆくようにイメージをしてゆく。さらさらのきれいな水になるようなイメージ。

なんとかなるかもしれない。

感受性を取り戻す

ひと月ぶりにこの日記を開いた。

今年度の仕事が始まってから、忙しくはなかったのだが日記を書く気にはならなかった。

ひと月しか経ってはいないが、最近は安定している。
以前よりもよく眠れるようになってきているし、背中の痛みもマシになってきている。

病院にはいくつか行った。
ハッキリとした病名はない。


日記を書く時は自分自身の中を覗き込むようにして書く。
これが身体にとって良いのか悪いのかはよく分からない。

神経に集中する、というのはやり過ぎるとあまりよくない。
感覚が内向していって、息が詰まる。
外部との間に殻が出来てしまう。
神経に集中するということは、身構えるということでもある。自由ではなくなる。
本来神経は自由で、何も感じないのが良い。

神経を自由にする、ということは当面のテーマの一つになると思う。

身構えている、という感覚が分かれば、その対極もそのうち分かるようになる気がする。

身構えて神経を集中させることは、感受性を高めることを意味しない。
感受性を高めるとはむしろ神経を集中から解放し自由にさせることである。

自分のやっていることはおそらくは神経症の克服のプロセスなのだと思う。

とにかく身構えを解き、神経を自由にして、楽になる感覚を掴みたい。
これはあらゆる感受性の起点であると思う。

明日が来ない

寝不足の日が続いている。
眠る時間は確保しているのだが、スイッチが切れないように、眠りに落ちることができない。
 
12時には布団に入っているのだが寝付くのは2時3時で起きるのは6時台。
3時間か4時間の睡眠しか取れていない。
それも、ぐっすり眠ったとは言い難い、仮眠を繰り返したような中途半端なものだ。

眠っても明日が来ない。ずーっと何かが続いている。

眠るのが怖い。
二度と目覚めないかもしれない、と感じる。


自分自身を励ます。

何ら他人に恥じるような生を送っているわけではないと。
精一杯やっているのだから、堂々としていれば良いと。
思う存分グーグー眠っても何の問題もないのだと。

あまり効果はなさそうだ。
心は少し軽くなったけれど。


寝不足の何が辛いかというと眠いのに眠れないことと、頭が殆ど働かないことだ。

単純に頭が重苦しくて辛いというのもある。


もう我慢の限界なので病院にかかることにした。
よく2年間も耐えたと思う。

これは明らかに病気であると思う。

不調

昨日も今日もほとんど頭が働かない。

感覚はあるが、何も感じない。
情緒が出てこない。

ただただ時間が過ぎるのをぼんやりと眺めている。

これがいわゆる鬱なのだろうか?

背中が痛くてしょうがない。


おれはもう終わってしまったのだろうか?

そんなことを考えてしまう。

そんなこと分かりようもないのだから考えても仕方がないのだが。


終わった、と思いたいのかもしれない。

この世の中でやることが無くなってしまったと感ずる。

何かを求め追いかけるのも、維持するのも、興味がない。

人の世を良くする、ということをたまに思うようにしているが、本心ではどうでもよい。


体中が痛い。

水に浮かぶ油になったような気分だ。

全く周りのものを受け入れ溶け込むことができない。

たぶんもうこの世界に居たくないのだ。

 

ダサい台詞

頭の中には常に様々な想念が湧いては一部消える。残ったものは言葉になる。

頭の中に浮かんだ言葉は全て自身の真実であるがそれは自身にとって望ましいものとは限らない。

思い浮かんだ言葉は例えば人間ドラマ系の漫画に出てくる場末の飲み屋の疲れ切ったサラリーマンのようなセリフのようであったりする。

絶対に口に出したくはないようなダサい言葉である。

「畜生、どうしてこんなことに…こんなつもりではなかったのに!」

「俺は悪くない、少し運が悪かっただけだ、今に良くなるんだ、でも俺は何もしていない…」

まるで漫画である。そしてダサい。人間はしばしばダサいものであって、それ以上のものではない。


昨日今日と、こんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡り、ずっとカリカリしている。

さて、どうしたものかな。