げじげじ日記

私の世界

フィット感

今住んでいる所から引っ越して、実家のそばで暮らすことになるかもしれない

分かったことは、ただ食べて眠って休んでも何も良くはならない、ということだった

台所のゴミに小バエがいっぱいわいているのを見て

この生活を終わらせることを決めた

なんの先も描くことができなかった

出来ることはもう何もない

今の生活が

自分自身に対する不愉快な仕打ちのように感じた

それをやっているのはわたし自身だ

終わろう、と思った


自分の心をごまかすということは

常にやっているようで

本当はそんなこと出来はしない

表層でごまかしていても

心の奥底では

すべてが明らかになっていて

好きなものは好きで

嫌いなものは嫌いで

気持ちいいものは気持ちよく

不愉快なものは不愉快である

心の奥底では

ここには居たくない

ここに居るのは不愉快だ

しかし他に選びようがない 

とも考えているから

不愉快だ、という気持ちを曇らせるフィルターをかけているに過ぎない

恨み言を言えばキリはなくて

ただ愚痴を言うくらいなら出ていった方がマシと思い自制している

出ていけないのなら愚痴を言いながら向き合ってゆくしかないのだ


無理をすれば

ここで前向きにやってゆくということも

出来なくはない

だが

長くは続かないだろう

わたしはわたしの本当の声

聞き取りにくい小さな声に

気付いている

それを無視することが出来ない

それは言葉には到底ならないような

予感そのもので

わたしの未来は結局はそこに向かっていってしまう

フィット感がなく微妙なズレがある

というのが声であり

問題はその声が聞こえているかどうか

その声に従っているかどうか

なのだろう

ズレていることが問題なのではなくて

ズレているものをそのまま放置することが

問題だ