げじげじ日記

私の世界

社会

少しずつ

癒えてゆくのだろう

わたしは


昔の夢をみた

そのころわたしは自分では気づかなかったが

精神的に参っていた

わたしの知り合った人々と

ある社会との交流

そこでは日本の社会らしく

真実や事実よりも

強いことが全てなのだった

強さとはある種の鈍感さである

結果的に

わたしは疲れ果てボロボロになった

それから癒えるということが始まった


そのころ

社会は人間を幸福にはしない、という

単純明白な真実に

わたしはなかなか気づかなかった

人は社会に捧げ物をする

時にそれは過剰になる

社会が自らに幸福をもたらすという

期待をして

だが、何かが物足りない

なぜか、と考えて

まだ捧げ物が不足しているか、と

捧げ物を増やしてみる

だが、物足りなさは変わらない

社会は常に捧げ物を必要としているから

捧げ物を増やせばそれだけ幸福になると

ささやく

社会に参加する以前の子ども時代には

幸福とは単純なものだ

ところが大人になると

自分の幸福と社会とを繋げようとして

失敗する

社会は人を不幸にすることがあるので

幸福にすることもあるのではないかと

思い込んでしまう

この手の思い込みは社会により更に補強される

「わたしは○○のおかげで幸福になりました」

という内容の嘘がいかに多いか

ひどい場合には

自分の参加している社会は人を幸福にすることはあっても、不幸にすることはありえないと本気で思い込んでいる人さえいる

こういう人は前述のような嘘をつき続けなくてはならないし

また他人にも嘘をつかせ続けなければならない

こうして社会は人を不幸にする


社会が人間を幸福にはしないのはなぜか

社会は自らを存続させるために

多かれ少なかれ人間に嘘を強要するからだ