げじげじ日記

私の世界

死体のことば

外のものについて何ひとつ言うべきことがない

愚痴や
文句や
賞賛や
質問も
何も言うべきことがない

発散したいことも
繋がりたいものも
知りたいこともない

日本語で「なぜ」と問うことの不毛さ
理由を知ってももはや全ては手遅れなのだと
日本語の全てが言っている

日本語で「なぜ」と問うとき、それはもはや
状況への愚痴と文句と
「私は悪くない」という自己弁護に他ならない
英語の「Why」とは異なり
ものごとの理由を問うためのものではない

日本語は正気を失った
正気を失ったということを認識できないほどに

われわれのほとんどは
コミュニケーションという名前の
言語による情報のやりとりをしていることになっているが
実際に行われているのは
ただの話しであって
そしてほとんど話しは行われていない

わたしから生きた言葉は出てこない
死体の言葉を手渡して何になろう
「死んでいる」ということは分かるが
「生きている」ということは分からない

何かを喋るとき、わたしは頭の表面の凹凸をなぞり
口からそれを死んだ言葉として出すのだ

本当は何も話をしていない
生きた言葉は失われたままだ