加齢と幸福
今日も風邪っぽくて怠い。口の腫れが治らない。
一時的に良くなったり悪くなったりを繰り返しているが、全体的には少しずつ悪くなっていっている気がする。
良くなった時には「大丈夫!」と思えるのだが、悪くなった時にはそんな気持ちは全部どこかへ飛んでいってどこにもない。
だんだん「大丈夫!」の気持ちも薄れていって、ただ冷静に「もうこんなことはやめよう…」という平静とした気分になってきた。
自分の中で何かが終わったのだと思う。
元気は全く出ない。
無い、というのではなくて、出ない。
何もかも尽き果ててしまったという感じ。
どこか納得がいかない、という感じがあって、それで何もやる気が起きない。
大人ならば納得がいかなくても飲み込んでやらねばならないこともある。
だけど、何もかもそれが出来る訳ではない。
そして出来たとしてもしょぼい仕事しかできない。
この先に将来がないと感じていて、目下の利得もなく、ただやることの楽しみもない仕事を懸命にはできない。
ちゃんと力を尽くして仕事をしたい、という気持ちが強くあるのだと分かる。
年齢を意識することが増えた。
一年の持つ手触りのようなものが変わった。
何も成さず、ダラダラとしていることに焦っている。
身体は年々弱くなってゆく。
頭も働かなくなっていく。
普通に就職していたら、毎年給料は上がるし、仕事も色々出来るようになっていって、年齢を重ねるということと、そうした現象が一致して、歳を取ることの手触りが違うのだろう。
組織に属している人はそういう歳の取り方をする。
組織が歳の取り方をある程度規定してくれる。
自分のやり方で歳を取ってゆくということに不安がある。
ただ毎日楽しければよし、という歳の取り方はなかなか難しい。
何もしなくても幸せ、というのが難しいのだ。
「歳を取る」ということと「幸せ」はぐちゃぐちゃと入り組んで絡み合っていて、複雑である。
幸せになるために、人は何かをしなければならないのだろうか?
「いま」は未来の幸せのための敷石でしかないのだろうか?
本当は、人は幸せになるために何かをしなくちゃいけない、ということはない。何もする必要はない。
おそらくこうだろう、と思っている。
それでも不安はなくなることはない。