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げじげじ日誌

マイ・ワールド

会話の分析

今日朝起きたら口が荒れていた。 下唇の内側に口内炎ができていた。

この3年ほど風邪もひかず口内炎もできなかったのだが、体質が元に戻ってきたのだろうか。

人間の身体は環境によって体質が変わる。戦場、強制収容所、刑務所などの体験談をいろいろ読んでいると、そういうものをちらほら発見する。



友達とメールをしていてふと自分がアドバイスをしようとしていることに気付いた。

意識的にではなくて、パッと思いつくことが殆どそれしかないのだ。

つまり自分自身にある態度があって、そこから取り出せるものはすべからく何らかの形式のアドバイスめいたものになってしまうのだ。

これは何だろう?と自問した。
昔からこうだったのだろうか?
この人や一部の人に対してだけこうだったのか?

考えてみると年上の人にアドバイスをすることなどない。
自分の中で何らかの態度を使い分けているのだろう。

職業病だろうか?ものを教えている内にアドバイスをするクセが付いてしまったのだろうか?

ああしたらいい、こうしたらいい、ばかりでは面白くはない。

よく相手の話を否定して話を始める人がいるが、あれと大差ない。

指導してやろうとか、治してやろうとか、教えてやろうとかいう気持ちで、友達と会話はしたくない。

そう思い、メールを書き直した。


普段、会話の内容を分析したりはしなくて、ただ思った事を言っているつもりだ。

けれど、そこに固着した態度のようなものが在ると、あまり会話は面白くはないと思う。
話題に興味があればまだいいけど、話題への好奇心と会話の楽しみとは違う。

ずーっと上から目線でアドバイスするだけ、自慢話するだけ、否定するだけ、質問するだけ、相槌を打つだけ、ではお互いに会話に退屈するに決まっている。
話題への好奇心がなければもう最悪である。

どちらが悪いとかではなくて、態度が固着化しやすい相性というものがあるのだろう。
二人ともその役割が好きで受け入れているのならそれはそれで問題ないのだろうけど、自分はあまり楽しい会話だったとは思わない。

話をするだけのことを、難しく考え過ぎなのかな。
そうだと思ったらそうだと自分の言葉で言い直して、違うと思ったら自分はこう思うと言えば良いだけのような気もする。

うーん、錯綜してきた。
たまには分析も必要、くらいの結論が落としどころ、だろうか。