軽い気持ちで
今日の体調はまぁまぁ。
そろそろ活動できるようになってきたので、無理をしない範囲でやっていく。
今の仕事はあとひと月で終わりにしようと思っているので、それに向けて色々と準備をしなくては、と思っている。
昼間で寝て、温泉に行って、帰りにいつもの唐揚げ屋でもも2本(500円)を晩御飯代わりに買って帰った。
軽い気持ちで何でもやればいい、軽い気持ちで休んで、軽い気持ちで止めればいい、と思ったら楽になった。
軽い気持ちでやったら駄目なのは車の運転と結婚くらいなのではなかろうか。
この辺は軽い気持ちでやるような輩はそうそう居ない。そもそも法的な責任が生じる。
不満だって、軽い気持ちで言ったらよいのだ。
重くなると、どんどん言えなくなって、溜まっていって、爆弾のようになってしまう。
気持ちは軽くやるけども、言葉は重い、行為は重い、というのが一番よいバランスのように感じるけれども、それは簡単なことではない。
先ずは気持ちの軽さからやってみよう、と軽い気持ちで思うのだ。
言葉の重さとはその人の経験と思索から来るオリジナルな世界観を反映したものである。
単に重たい世界観を持っているということではない。重たいだけの世界観なぞただ辛気臭いだけである。