砂時計の中へ
今日は起きたら10時半だった。
洗濯機を回して辺りを散歩する。
昨日にもまして今日は暖かい。
畑のあぜ道でボーッとしつつ、俳句でも読もうかと色々と考えた。
ふたりきり あなたとわたし はるのよう
月並みだが、まぁできたのでよしとしよう。
夕方から仕事をして、終わってからは2時までずーっとゲームをしていた。
小学生の頃のスーパーファミコンのゲー厶。
夢中でやってると、色々な考えが頭をコツコツと叩いてくる。
「こんな何もならないことに夢中になってていいのか?」
「お前はまだ人並みにも稼いでいないし地位もないのに、新しくもない、こんな昔にやり尽くしたようなもので遊んでいていいのか?」
ああ、どっぷり呪われてるな、と思う。
これは「怖れ」なのだ。
好きなことをして、あっという間に時間が経つことへの怖れ。
時間を自分の手でコントロールして、予定通りに物事を進め、やるべきことをこなしてゆく。
そうした生き方に慣れると、「時間に飲み込まれる」ような瞬間が怖くなり始めるのだ。
砂時計を眺めて、砂が減ってゆくのを見ながら焦るような生き方。
それよりはむしろ、砂に飲み込まれて吸い込まれてゆくような生き方こそ望ましいように思える。