あなたとわたしの世界
今日は休みなので、8時くらいには起きていたけど昼まで寝ていた。
洗濯物を干して、昼ごはんを食べた。
その後何かを考えていた気がする。
昔の事を思い返していた。
あれは幼稚園の頃のことだ。
ふと「自分はここに必要なのだろうか?」と思って、掃除の時間に運ていの上で寝ていた。
後で呼ばれて戻ると、もう掃除は終わっていて、他の子らに感謝と謝罪を述べて事は済んだ。
しかし、自分の疑問は掃除されずに心の底に残った。
誰かにとって必要とか必要じゃないとか考えることは馬鹿げていると思う。
必要とされる人に成りたかったわけではない。
ただ自分がこの世界に居るということを確かめたかっただけなのかも知れない。
自分が消えかけている。
もはや、誰の眼にも映っていない。
そうした時はどうするのだろう?
自分は、ここに、居るぞ、とアピールするのだろうか。
必要というのは、誰にも出来ない事が出来るとか、替えがきかない、とかいうことではない。それは機能やキャラクターに属する。
ぼくが欲していたのは、機能ではなく、存在としての必要だった。
別に世界にとって必要なピースでありたいと思ったわけじゃない。世界への影響などどうでも良い。
自分が消えてしまっても世界は問題なく動いていくし、それが良いところだ。
自分が消えたら世界が崩壊するんじゃ、責任が重すぎてやっていられない。
だが、自分という一つの世界は消えてしまう。
それはとても辛いことだ。
やっと分かってきた。
ぼくは、自分という一つの世界のことを他の人に認めて欲しかったのだと思う。
客観的な、皆が住んでいるところの世界とは全く別に存在する一つの世界。
それは世界のパーツなどではなくて、独立した一つの世界なのだ。
この世界のことを「人格」と呼ぶんじゃないだろうか。
それは世界に対する影響力のゲームのパラメータのことではない。
一つ一つ並べて比べることもできない「世界」だ。
だが、自分だけがそうした世界を持っていて、他の人には無いのだろうか。
いや、むしろ他の人に一つの世界があると分かることで、自分の一つの世界のことを確かだと感じるようになるんじゃないだろうか。
それはまだ予感だけど。