げじげじ日誌

マイ・ワールド

他者性

昨日は4時くらいに眠った。今朝起きたら10時すぎだった。6時間も眠った気持ちがしない。

軽く整体をして20分ほどランニングをした。

晴れているのに霧吹きのような小雨が降っている。
風が強い。ぎゅっと拳を握って走る。

走っている時は特に何も思うことはない。
身体の要求に従って走る。

海岸に沿って緩いペースで走る。
小さな船が浅瀬に停まっている。

港から内陸の方に入り、帰りの坂道を登った。
途中で少し歩いた。

ランニングが終わった。
隣に住んでいる婆さんに声を掛けたらコロッケをくれるというから貰った。

朝昼一緒にしてお好み焼きとコロッケを食べた。


走っている最中は何も思うことはないが、帰ってきてボンヤリしていると「これでいいのかな」という考えが少しずつ頭をもたげてくる。

「こうするべきか」「ああするべきか」というのは自分の外に判断を仰ぐ姿勢だ。
自分で考えてこうする、と決めることと、真逆の発想だ。
しかし実際にじわりじわりと頭を浸食している。

不安に囚われ、自由にものを思うことができないでいる。

何をするかなんて誰が決めることでもない。
そう思って不安を追い払う。


あと、昨日の晩に考えていたことがある。

俺は自分が一番偉いと思っている。
「俺が一番偉い」と心の中で思うと、心がスーっとして、いい気分になる。

自分が一番偉いというのは、どう考えても事実ではないが、心情的にはそういうことになっている。

いいか悪いかでいえばおそらく悪いのだろうが、事実そう思っているのは確かだ。


他者性ということについて何年も考えてきた。
一番熱心だったのは3年前くらいだろうか。

未だによくわからない。
自分の他の人間というのは存在する。
でもそれは他者ではない。
単なる「自分以外の存在」という実感しかない。

他者というのは、自分と同等というか、全ての部分が異なるのだが、それでいて共通点があるものだろうと想像する。

単なる事実としての「同じ人間同士」というのでもなくて。同じ人間同士というのは事実を述べただけに過ぎない。実感が伴わない。

他者も自分も確固とした地面の上にいる存在ではなくて、シーソーややじろべえの両端のような存在なのだろうと思う。

どちらかが居なくなれば、他方も世界から転げ落ちるのだ。

これは想像力の問題なのか、トレーニングによって脳の神経が繋がるからなのか分からないが、他者性とは実感しなければ分からないものだろうと思う。