げじげじ日記

私の世界

ひとり

夜の10時に図書館に本を返しにいった

夜に出歩くことは少ない

すっかり秋の気温になっていて

もうすぐここに来て一年になることをおもった

人影は少ない

図書館をぐるっとまわって裏に返却用のポストがあった

暗かったので懐中電灯を持っていってよかった

コンクリートできれいに舗装された通路と

響く虫の鳴き声

妙なミスマッチが感傷を引き起こす

まるで滅んだ街のようだ

ひとが誰もいない

朝になれば

ひとは活動するが

それは夜にいるはずの人々とは異なる

夜の人々はみなひとりひとりなのだ

わたしは

少し寂しいような

心細いような気持ちになって

いつもの暗い帰り道をバイクで走った

いつまでここにいるのだろう?

と思うが

なぜだか分からないが離れたくない気持ちもある

それは理屈ではない

しかし結局は

行かねばならぬ時期がきて

目が覚めたように猛然と引っ越す準備をするのだろう

それがいつになるのかは分からない

なんというか

今の生活にはまどろみのような満足感があって

まぁずっとこのままでもいいんではないかという気もする

現実的には恐らくはそうはいかない

ようは、生活のあり方として悪くはないということだ

わたしはひとりでいたい

学生時代とその後数年間のうちに、どうしてもできなかったことが

ひとりになること

であった

わたしは常に出会いに期待していたし貪欲だった

無為と分かりつつも誘いは断らなかった

わたしは

ひとりになることができなかった

やっと、ひとりになることを覚えた

他人と繋がろうという気持ちはなくなった

少しの間一緒にいるだけで

もう十分

繋がり

仲間などいらない

人と人が島のように孤立していて

それを鎖で繋ごうというような発想からは

何も生まれない

人間は島ではないのだ

だから、ひとりでいることを

怖れる必要はない

ひとりでいるということは

人間が繋がる必要のある孤島であるということを意味しない

人間は繋がる必要はない

なぜなら人間は孤島ではないから

繋がりやら絆やら仲間やらを強調し重く見るひとは

人間はみな孤島のごとくであるという発想からスタートしている

では人間はなんなのか

おそらくは

波である

反応

心の中がざわざわ、胸騒ぎがする

ニュースなんか見ないで

自分の心の内にいた方がいい

しばらく良いニュースはないだろう

毎日、身の縮むような感じがする

そして背中が痛くなる

外のものに押しつぶされて

身体がどんどん縮んでゆく

わたしはわたしの身体を

拡げなくてはいけない

今のページは他人の絵でいっぱいいっぱいだから

別のページを開かなくてはいけない

夢の世界に旅立つように

誰とも共有しないページを

描き始めなければいけない

今はわたしの中にあるものは

外からのものに対する反応だけである

外からやってくるものを打ち返そうと

緊張し身構えている

まず反応するということを

やめる必要があるのではないか

打っても響かない

そして自ら歌いだすのだ

生きる

生きるのは大変だ

ただ生きるだけでも人間は大事業をしている

そう思った

仕事でやる事業などオマケみたいなものだ

世の中では起業家や経営者はエライ

とされているが

オマケについてあれこれ言ってどうする

オマケは所詮オマケに過ぎない

容姿、性格、能力、資産、社会的ステータス、etc…

全てオマケに過ぎない

人間は生きているだけで大したものだ

それは簡単なことでも楽なことでもない

たとえ何もせず引きこもっていたとしても

大変なのだ

これは分かる人には分かるし

分からない人には分からない

ただ生きてここに居ることを祝福するようなセンスを持ちうるか

これを持つ人々だけと関わっていきたい


人間は

疲れ果て倒れ無一物になり何もできなくなっても

常に思索を巡らし

心臓は脈打ち

髪の毛や爪は伸び続けている

かれはまだ生きている!

かれを

元気がないだとか

何もしていないだとか

人糞製造機だとか言って

馬鹿にする人間たちがいる

わたしはもう彼らとは関わらない

生きるとは

楽に息をすることである

かれらは息苦しい世の中を作り

それを難しくする

無題

朝の空気が冷たくなってきた

それが肌に触れるとしゃんとする

仕事の前だからかもしれないが


普段はしゃんとしてなくて

布団でだらだらしている

贅沢な生活だとおもう

そして贅沢はいいことだとおもう

一日に12時間も働かなくても

こうした生活ができるというのは

いい時代だとおもう

他人と比較しなければ、だけど


20代のころは世間にもの申す、という気持ちがあった

わたしは誰にも理解されなくて苛立った

理解されない

それがいいのではないかと気付いたのは最近のことだ

わたしはもう世間にもの申したりはしない

具体的には文句や愚痴を言わない

要求と取引だけはする

これで相当楽になったこともあり

逆に新たに生れた苦しみもある

だが総じてみればよくなっているとおもう

この苦しみもまた克服され

楽になり

新たな苦しみが生まれるのだろうか

それはまだわからない


昨日思ったことだが

普段ひとと話していて

気分がよくなることがほとんどない

それは

話せば話すほど気分がよくなるような

声と

話の内容が

欠けているからだ

緊張し

話せば話すほど気分が落ち込む声で

話せば話すほど気分が落ち込む内容の話を

している

何も面白くはないし

楽しくもない

わたしは仕事の話など一切したくもない

身の上話もしたくない

仕事や生活の上では

聞きたくない言いたくないような話を

しなければならないけど

それだけでは何も面白くない

疲れ

今の生活は考えることが少ない

生活は単調で刺激は少なく

落ち着いている

今いるところはいわば袋小路で

疲れたのでそこに座り込んでいる

先はないので先のことは考えない

袋小路に庵を結ぶわけにもいかない

疲れた、というのが

一番切実な感覚だ

行動することも

考えることにも

疲れた

なにもしたくない

何もかも飽きた

希望に満ち溢れた日々にも

絶望に打ちのめされた日々にも

飽きた

淡々とした日常と

その中でのささやかな気遣いが

癒えとなる

それ以外には何も要らない

知識も

エンターテイメントも

コミュニケーションも要らない

心の疲れが癒えるには

どうすればいいのだろう

感動する話など

今は一番悪い

げんなりする

焦りも心の激しい動きだから

これも悪い

何も考えずに

何も感情を持つことなく

ぼんやりしたい

ただの血の詰まった袋になりたい

焦り(2)

わたしは焦っている

群れから離れ

ひとりになったから

わたしの苦しみは

わたしだけのもので

誰とも共有できない

田舎でひとり貧乏な暮らしをしていると

人生を無駄にしているのではないか

このままではいけないのではないか

などといろいろおもうことが多いが

全て焦りによる発想だ


焦りは原動力になりうるが

焦りのみが原動力ではろくなことにならない

だからものごとに取り組むにあたって

焦りを原動力とはしないほうがよい

だが世の中を見てみれば

多くの行動の裏には焦りがある

焦りは緊張に似て

焦りの中にいる人間には

焦っていることを自覚できない

わたしは何年か武術に夢中になったことがあったが

その頃は

同年代の他の人々とは異なる道にいて

彼らは仕事に人生を費やしている

だから自分は武術に人生を費やさねばならない

と考えていた

これこそ焦りによる発想といえる

そう思い始めた頃には既に武術には飽き始めていて

長続きはしなかった


そもそも

何かを成そうとか

何者かになりたい

というのが焦りによる発想ではないかとおもう

焦りが消えたとき

焦りを原動力としなくなったとき

わたしはわたしの心に一歩近づく

そんな気がする

焦り

温泉に行って

ノンビリしても

ノンビリできない

半時間もすれば

出なければいけないような気持ちになる

しかし後に予定があるわけでもない

わたしは不思議に思った

別に夕方までゆっくりしていてもいいのだ

なのに

すぐに出なければいけないような気持ちになる

返さなければいけない借金でもあるかのように

追い立てられている

そんなものは無いのに

焦っている

わたしは何もしていなくて

ただただ心の中は焦っている

今まで気付かなかったが

ずっとそうだったのだろう

のんびり、自分の時間を過ごしているつもりで

内心は焦っていたのだ

焦ったところでいいことはない

焦って何かをして、うまくいくことなどない

それは今までの失敗の経験から明らかで

後は、この焦りをどうするかということが

問題になってくる

焦る気持ちでしんどくなり

何もしたくなくなる

そして更に焦る

という悪循環

どうしたら

抜け出せるのか

ノンビリした環境だから

焦らなくなるわけではない

人並みから外れている

という意識から

焦りが生まれる