げじげじ日誌

マイ・ワールド

絶望

久しぶりに日記を書く気がする。

最近は風邪をひいていて鼻が詰まって苦しかった。
昨日あたりから随分マシになったが、今度は精神的に落ち込んできた。

落ち込むと日記を書いて吐き出そうという気になる。

うまく心の中を言い表すことができない。
ただイライラ、カリカリしている。
言葉が死んでしまったような感じ。
心の中だけでなく、何一つ現実を言い表すことができない。

昔のことを思い出すことがまた多くなった。
嫌なことばかり思い出してしまう。

将来への不安がずしりと胸の中にある。
そして絶望の感覚が身体中を満たす。

ああ、またこれと共にやっていかなければならないのか…

絶望の感覚はもう覚えてしまった。
心も体も重く冷え切ってしまったような感じ。

心に引っ掛かっていることがいくつかあるのは確かだ。

今日はある人と久しぶりにラインをした。

ラインをしていたら、だんだん気持ちが落ち着かなくなってきた。

言葉と感情が身体の中をぐるぐる暴れている。

吐き出さなければ、と思った。

言葉にならない何かが自分の中をぐるぐると暴れて、身体が震え始めた。

神経がおかしくなりそう。
これは所謂「躁」状態なんだな。
落ち着きがなくて、苦しい。
心も身体も休まらない。
何かが自分の中でドタバタと暴れて、出てゆかない。

「静まれい!」と言って静まるもんでもない。
それは経験で分かっている。
布団の中で声出しでもしてみるか…。

人間

今日は朝起きた時から体調が悪く、殆ど寝ていた。
最近はこういう日は珍しい。

寝ているとやはり色々と考え過ぎてしまう。
今日も昔のことを色々思い出してしまった。

カリカリしないように心掛けていても、ツイッタで気に入らない記事なんかがあるとカリカリしてくるのが分かる。

とはいえ確かに書いてあることは現実なのでカリカリしてもそうであることは間違いない。

ただ自分が受け容れたくないものだ、ということが分かるだけである。

うまく言えないな。
ようは自分の事と結び付かないなら現実として受け容れるのは容易いのだけど、まだ自分と関係のあることなので受け容れ難いということだ。


今日見てて腹がたったのは「妾になろう」という記事だった。

書いてあることは確かにその通りだ。社会進出した女性の殆どは給料が低く、生活に不安を感じている。

だが周りの高収入の男性は既に結婚している。低収入の男性には惹かれない。

となると高収入の男性の妾になって、仕事はそこそこに楽しく暮した方が良いではないかと考えるのは当然の流れだろう。

彼女らにとっては「安心」が一番大切なのだ。
恋愛結婚だ、一夫一妻だという絵空事には付き合えないのである。

フルタイムで月収15万円を下回る仕事に就いている若い女性たちにとっては今や当然の考えである。
勤めていた時そういうことを何人かから聞いたことがある。

子どもを産んで、経済的に支援して貰う。
子どもを産むことが、仕事なのである。
女性であることを活かそうという仕事。


われわれは常に自分の身を何かに任せなければならない。
その何かにどういったものを選ぶか。
答えはない。

今や人は他人の人格ひとつを信頼して自分の身を任せるということが出来なくなった。

女たちが不安と戦うことをやめ、安心を得る為に妾となる一方で、男たちは女を安心させる為の経済力を獲得するレースで戦い続けるのだ。

彼らには不安から逃れる術はない。


人間の時代は終わった!
人間であろうとすれば不安からは逃れられない。
人間であろうとすれば人生をめちゃくちゃにするしかない。

めちゃくちゃになった自分の人生を、それでも大事に抱えて走るのである。

たたかう

最近は記事を書いて途中で保存して、忘れてしまうことが多い。

何だかぼーっとする。
鎮痛剤やら漢方薬のせいだろうか。
でも身体にはよく効いている。
来週中には足は完治するだろう。


わたしたちは何と戦っているのか、なぜ戦っているのか、誰も知らない。

ただ、戦い続けてきて、そうしなければ生き残れないと思っている。

そして戦う必要があったのかどうかは、勝利した後に考えれば良い、と思う。

死体となった敗者は何も思わないし何も言わないから。


防衛の為に戦わなければならない、ということもあるだろう。

それにしても攻めてくるものは一体何なのか…分からない。

ただ攻めてくるものがあるという事実に反応して戦う。


生きることは日々戦いであるのか。
その戦いには、限界はないのか。

戦いとは比喩に過ぎない。

動物が獲物を追いかけるのも、天敵から逃げるのも戦いである。

巣を作るのも戦いであり、交尾をするのも戦いである。

こう見ていくと、だんだん戦いとは何かわからなくなってくる。


比喩としての戦いとは、頑張るということに過ぎない。

動物は頑張ってなどいない。
つまり戦ってなどいない。
ただ本能のままにそうしているだけだ。

人間は頑張らなくても生きられる道を探すことを頑張るべきではなかろうか。

身寄りがない

今日は天気が良かった。温泉に行く途中バイクで側溝に突っ込んで、足首と尻を痛めてしまった。

コケて直ぐはめちゃくちゃ痛くて、暫く動けず草むらで寝ていた。
メガネが無事だったのを見て安堵した。

何とかバイクを側溝から出して、山道を下り病院まで辿り着いた。
帰るのに誰も車で迎えに来てくれそうな人がいなかったので、タクシーを呼んだ。

身寄りがない、というのはこういうことなんだな、と思った。
頼りにできる人が一人もいない。
それは京都でも一緒だった。


最近どうもシャキっとしない。
正気を失っている気がする。

不本意な生活をしているとは思う。
そのせいなのだろう。


カリカリするのを気付いたら直ぐにやめるようにしたら、気分の落ち込みが少なくなった。
これはやる価値がありそうな気がする。

カリカリするなよ

今日は天気が良かった。
隣のばあちゃんの犬猫とグダラグダラと遊んだ。

リラックス、というのを随分忘れている気がする。
前もこんなことを思ったような。

あれは一昨年の秋だったか。
2年ぶりくらいに女の子とデートをした。
久しぶりに「遊び」「休み」というムードを感じて、溜息が出た記憶がある。

「休み」とは単なる無色透明な空白のことではなくて、感触を持ったムードのことなのだ。
ムードから離れ過ぎていると、感触そのものを忘れてしまう。


何故こんなに張り詰めて生きているのだろう。
張り詰めていても、うまくいくわけでもないのに。
起きていても寝ていても遊びや余裕がない。

いつからこんな風にカリカリするようになってしまったのだろう。記憶では、3年前くらいからではなかろうかと思う。

こういう風に過去を振り返ることも昔はあまりなかった。ここ1年くらいやたら多い。
こうした習慣もカリカリするようになってからのものだ。

時間が解決する、ということもある。
カリカリするのをやめよう」と決めたら、その火から解決へのタイマーが進み始めるのだと、そう思いたい。

最近の体調は一進一退という感じ。
寒くなるとやはり落ち込みやすい。

フェイスブックやyahooのアカウントに不正ログインされているようなので、各種パスワードを入れ替えた。

ついでにミクシィも久しぶりにログインして、過去の日記を見てみた。

6年前くらい、23歳の頃の日記を読むと、まーびっくりする程バカなことしか書いてない。

ノーテンキで、頭でっかちで、調子こいてたガキであったのだな。
最後の日記が2011年3月だから、丁度6年前。

それから6年間色々なことがあったなぁと思う。
行き当たりばったりで何も計画なんかしてないから、思いもしなかったようなことばかり起こった。

しかし方針のようなものはあった。
全てバラバラに壊して分解してみたかったのだ。
自分も、世界も。

その衝動のせいで色んな人に迷惑をかけた。
だいたい人は作って大事にしたがるけど、それを壊そうとしてしまうから。

とうとう自分自身をバラバラにしてしまって、自分が何をどう感じているのかさえも分からなくなってしまって、途方に暮れた。

もちろん他人のことなどまーったく分からなくなってしもうた。
自分自身のことさえ分からなくなってしまったのだから、他人のことなど分かるわけがない。

面白いことに、人は自分自身のことが分からなくなるほど、自分自身のことを他人から隠さなければならなくなるらしい。

こうした副産物のような発見は沢山ある。


でもそろそろ壊すのも終わりにして、作り始める時期なんではないか、と思った。